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編輯后記

 本講座の編輯目的は、古典作品研究などの、個別個人的な事柄ではなく、漢詩詞を橋梁とした国際文化交流を為す手段としての、漢詩詞知識の習得である。

 因って漢詩詞創作知識と技倆は、相手側(中華詩詞壇諸氏)と同等で有ることを目指していて、本講座を修めれば、中華詩詞壇諸氏の研究討論会に同席し、末席を汚せる知識と技量が備わる事は、実績が証明している。

 漢詩詞の知識と技量とは、現在では通用していない過去の知識ではなく、現代漢民族が周知し、而も国際通用ている漢詩詞の知識と技量である。

 本講座に依って當代漢詩詞の知識と技量を修得したならば、次に為すのは本来の目的たる漢詩詞を橋梁とした国際文化交流(對漢民族)で有る。

 これから先は著者の経験談となるが・・・

 漢詩詞同人紙の購読を年単位で為した。

 

 作品募集案内が有ったら、屡々投稿した。

 

 投稿数が200件を越したら、短評を投稿した。

 

 詩詞研究討論会案内があったら、時宜に応じて単身でも渡中した。

 

 当然のことだが、先方は著者に對して歓迎会を催してくれる。例えば此方が二人で、先方が十人でも、必ず此方の二人は彼等のために返礼会を催し、十人を招待するのである。

 此方が十人で、先方が三人でも、その様態は同様であった。

 

 投稿作品が掲載されると、掲載誌紙が無償で送られて来る。

 此は原則無償であるが・・・・

 此方も同等の書籍・絵画・書法作品を送り、先方に凭れることは避けた。半年或いは一年毎に遣り取りを通算し、平衡に留意した。

 

 先方からの手紙は、応酬作品を付けて、必ず一週間以内に返信する事。これは日本人として最低限の礼儀である。

 

 以上は外見的な人柄の問題である。

 

 次いで内面的な事柄は、詩人(詩人の定義は総論 詩人と詩家に記載)であろうと努力する人柄の有無である。

 

 これらが備われば、日本人の目から見て高名な文化人或いは高官で有っても、詩家としての彼等は、誰彼の隔たりなく日本人の凡夫にも接してくれるのである。

 

 作品の巧拙は、平仄や美辞麗句ではない。確たる持論によって組み立てられた作品は評価され、持論の乏しい作品は評価の対象には成らない。

 

 

ご案内

 このテキストは著者が長年に亘って学習した漢詩詞知識を、集大成したものである。

 資料の大半は中国国内の諸賢より直接に習得した知識です。依って本講では、日本国内には、詩法知識として、その語句そのものが存在しないものもあります。

 日本の詩歌文化が、そのときどき、民衆と共に有るのと同様に、漢詩詞も中国人にとっては、時代の趨勢と共に、民衆の身近にあるものです。

 現在の作品は、現在の民衆と共に有るのです。小生は、作品の相互交流を前提にしていますので、西暦2000年に通用する句法詩法を説いています。

 例えば、日本で古典漢詩を扱う方々にとっては、古典漢詩と現代漢詩との間に齟齬が有る事は当然です。

 この問題はご自分の作品を、現代の中華詩詞壇ならびに諸外国の漢詩詞壇に通用させ、評価の対象にするか否かの、前提によるのです。

 

 この著作物には著作権があります。利用者は法を遵守して下さい。

  2009/11/08

         著作権者 中山栄造

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