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 自抒

 漢詩詞に興味を抱き既に三十数年を経た。最初の数年は無駄に過ごして仕舞ったのか?確かに本家本元の漢民族に通用しない漢詩擬きを習って仕舞ったのだから、無駄な歳月とも謂えよう。

 だが其れが有ったからこそ、現在の著者が有るのだから、あながち無駄だったとも謂えまい。

 漢詩擬きで有ることに気が付くのに数年、その后中國に矢鱈と手紙を出し、矢鱈と投稿し、分不相応に訪中した。漢民族の漢詩詞詩法を修得するのに数年有れば充分であった。

 早速にテキストを作り、“葛飾吟社”を創設した。当時の著者は生活費を稼ぐ立場で有ったから、定期的に時間を空けることは難しく、暫くの間は年に一二回のペースで、毎週二時間の十回(二ヶ月半の期間)講座を開講した。

 漢詩は難しそうに見えるが、実は易しい詩歌なのである。二十時間の講義で殆どの人は、五言絶句と七言絶句が作れるようになった。

 其れもちゃんと、中華詩詞壇に通用する作品である。幾人かは律詩を会得した人も居る。

 六十歳頃になって、余裕が出来たので継続講座にした。その間に中國の詩友は徐々に増え続け、七十歳の時には四百数十名になった。七十歳を頂点にして、今は減らす算段をしているところである。

 屡々日本での漢詩上達法として、多読多作多推敲と聞く。多読多作は良いかも知れぬが、多推敲では身に付かない。一回推敲を受けたら、自分で十回の書き換えを試みることだ。推敲を自分の作品と勘違いして、何時になっても身に付かない人は沢山知っている。

 漢詩詞創作に当たっては、@まず根底に自分の意思を他者に訴える意図が無ければならない。Aどの様に綴るか?即ち叙事法である。Bどの器に入れるか、即ち定型である。C句の構成はどうするのか?、即ち句法知識である。D更に句法要素の一つである對仗句法の学習も重要な要件である。

 これらを講ずれば、創作者に対する情報提供は殆ど終わる。でもこれらの知識は、作品の上辺を繕うだけの効用しかない。

 作品の巧拙を決める根幹は、創作者個人の持論と人柄に依るのである。此は、創作者が負うべき課題で、他者が口を挟める事柄ではない。

 

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