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活用法

 本書は、読んで娯み、自己を代弁させて愉しみ、模倣して創る楽しみと、三通りに使える。
 殆どの漢詩詞集は、矢鱈に詳細な語彙の解説を付けているが、本書には其れが付いていない。
 それは漢語文法に則って読みさえすれば、多少曖昧に読んでも、其れが直ちに間違いになるとは限らないからである。
 何故なら、漢詩詞に限って謂えば、文字面の意味と作品の真意とは、必ずしも同じではなく、表裏二面性が有るので、文字面を忠実に読んでも、其れが真意とは限らないのである。
 更に漢語は日本語に比べて、構造が整然としていて扱い易く、創るのも読むのも比較的簡単である。
 文法構造は、主語+述語+目的語 の順で構成される。形容詞や副詞や助詞や助動詞は、句の文字数が元々少ないから、作品を見れば、その要点は簡単に理解できる。
 作品に訓読を付けることはしなかった。夫れは日本の訓読法が全ての作品に対応できるとは限らず、読者に便宜を与えるが、内容を誘導してしまう弊害もある。ただ読みやすくするために“日本語読み”は適宜付け加えた。
 本書掲載の漢詩詞聯作品は・・・・・
 訓読しても、日本語読みとは限らない
 日本語読みしても、意訳とは限らない
 意訳しても、作品の趣旨とは限らない
 趣旨や意図は読者各自の持論人生観に基く
 因って各位の持論人生観によって、趣旨や意図は各位各様に読み取られることは当然の理である。
 古典と現代では全てが同じとは限らず、漢字そのものの字義も、古典とは変わっている場合があり、既に使われなくなった語句も多多ある。
 漢詩詞は漢民族の言語で外国語である。自分で解る様に翻訳して、身の丈に合わせて、自分の心で読めばよいのである。著者自身が凡夫だから、大したことは考えていないし、大したことは謂っていない。
 それでも春夏秋冬は有るし、交友や別離も、嬉しいときも悲しいときも、邪な心もあり、表裏二面性も具備している。
 読んで愉しむ人は、興味有るところを開いて、自分の気持ちを作品に重ね合わせてみることだ!沢山あるから、自分の気持ちと勘違いする作品があるかも知れぬ!気に入った作品があったら、抜き書きして自分用に使えばよい。
 創って愉しむ人は、自分の思いと同じ作品を探し当てることから始める。そっくり書き写すのも良かろう。丸写しでは自尊心に傷が付くならば、少し言葉を入れ替えればよい。
 本書の作品は嘗て中華詩詞壇誌紙に掲載された経緯があるから、その事に留意する必要がある。現代はInternetが普及して、語句検索の精度が向上しているので、何処かで鉢合わせして、剽窃の誹りを受ける事があるかも知れない。
 だが模倣でも原作より巧みな作品は幾らでもあり、最初から模倣と断り書きを為し、原本の所在を明らかにすれば、誰からも剽窃の誹りを受けることはく、正当に評価される。
 本書は漢詩詞講座と銘打っている以上、個人の事績を発表する詩集ではない。学習者に配慮すれば、作品を整理整頓することは、却って漢詩詞聯全般を知るには馴染まない。
 因って叙事内容は概ねの振り分とし、定型は作品抽出時の儘にして、敢えて混在させてある。是によって読者諸賢は、嫌が上にも雑多な定型と雑多な叙事を眼にするので、この曖昧さを自分で峻別しなければならないのである。
 登載数を絞って、作品のレベルアップという手法も有るが、巧拙織り交ぜた方が、却って学習教材としての意義が有るとの観点から、選択せず巧拙織り交ぜて掲載した。
 なお返り点などを付けたい人は、本を横向きにすれば、活字は横向きになるが、綴りは縦書きになるので、其処に返り点を付ければ対応できる。
 なお歩伐相随作品は、相手から手紙と作品を頂いたお返しに創ったもので、此処に登場する相手方は、多方面で活躍する高名な方々ばかりである。
 参考までに先方様の作品も載せたので、その作品を読むことが出来る。なお中國には職業詩人は居ないので、彼等の詩作は全て余技である。
【重要注意】本冊には数首の“非定型詩”が 掲載されているが、著者は非定型詩の詩法を熟知している訳ではなく、それらの作品は、応酬相手の作品を模倣したのである。
 夫れが偶々漢詩詞壇誌紙に掲載されたのであって、読者諸賢は、著者の作品を模倣することは、模倣の模倣に成るので、為さぬ事が賢明である。
 次に指導者を自称する人は、受講者の要求に対応する義務があり、受講者は千差万別の要求をするので、それらに対応しなければならない。
 其れは漢詩詞が好きだとか上手に作れると言う、個人的な要素だけでは義務が果たせないのである。
 漢詩詞は万象の叙事要求に対応して、10字の曄歌から240字の鶯啼序までの定型があり、更に自由律も備わって居るので、殆どの叙事要求に対応できる要件は備わっている。
 更に本書では、叙事要件も自己詠嘆・親族朋友・陋居・深山幽谷・旅游・純情・男女・幽会・純朴・狡猾・四季・・・・・・など筆者の知る限りの要件は掲載した。
 次に叙事をどの視点から見るかという問題がある。著者は視点を7視点に整理して居るので、本講座を参照すれば本書作品を7つの視点に分けることも出来る。
 詩歌は民族固有の文化である。著者は日本人文化の一端を漢民族の文字と詩型を借りて顕したに過ぎない。曄歌や坤歌や偲歌や瀛歌は情報量が少なく、日本詩歌に近い定型であるから、読者諸賢は先ず手始めに、著者の作品を日本詩歌に置き据える事を試みて欲しいのである。
 著者は日本詩歌の知識が乏しいので、漢字に凭りかかり、日本語読みで茶を濁してしまい、本来の日本詩歌に適宜置き換えることは出来なかった。
 どの作品に言えるが、趣旨が同じなら、同じ文字を使わなければならない制約は何処にも無いのである。並立する日本詩歌に置き換えられたなら、其れが本当の翻訳と言える。
 本書は巧拙雑多な作品が掲載されているが、読者諸賢はそれらを分別し鑑賞眼を養って欲しいのである。
 著者を含め中華詩詞壇では、自己の思いを不特定多数の他者に知って貰う事こそが、最も重要な作品創作の前提要件であり、他者を意識せず、自分の思いの丈を述べるだけの作品は、その範疇に入らないことは当然である。
 作品の巧拙は創作者が判断するのではなく、読者が判断するのである。作品の巧拙は同意であれ反論であり、何れでも良いから読者の心をどれ程多く動かしたかに依る。
 美辞麗句や語句云々は作品の巧拙には関わりない事柄であり、読者諸賢は美辞麗句に惑わされ、作品の本義を見失わないような観察眼を養って欲しい。

曄歌坤歌偲歌瀛歌三連五七律自由漢詩笠翁対韻羊角対漢歌漢俳填詞詩余元曲散曲楹聯はこの講座に記載があります