2005-5月掲載    こちらからお探し下さい 

お断り
 漢俳は俳句との関わりが言われているので、俳句関連の諸賢も閲覧される機会が有ると思われます。編者は俳句の詩法を知りません。依って本稿の解説は漢詩詞の一類としての解説で、俳句との関連については、一切の考慮をしておりません。

第一項 漢詩詞類型漢俳が誕生する以前

 中華人民共和国成立以後、人心の安寧を諮るための一つとして、文字の簡略化と詩歌の普及が図られた。

 既に漢民族には長い歴史に培われた定型詩歌が有るが、革命による新国家建設という政治状況と、従来の定型が、必ずしも簡易とは言えない現状から、自由詩の普及が図られた。

 然し、その後も自由詩は國の内外に廣く普及して大衆化される迄には到らなかった。

 長い革命の時代を経て、改革開放の時代が到来した。

 改革開放の時代と成って、長年にわたり、沈静化していた古典詩歌が、息を吹き返したのである。

 各地に詩詞壇か結成され、日本人との詩歌交流も、雨後の筍の如く、数は増え成長も著しく早かった。

 

 

第二項 漢詩詞類型漢俳の誕生

 詩歌関連交流は、個人的な交流はもとより、漢詩詞、俳句、短歌、吟詠、詩舞、書道などの、団体交流が盛んに行われた。

 偶々、俳壇交流の席上、中国側が日本側俳壇に敬意を払い、五七五字句の漢字による即興詩を披露した。この事は、日中双方に興味深く受け取られ、「漢俳」と言う、定型としての名称を得た。

 その後、漢詩詞類型漢俳は、中国国内で詩歌普及の方途として、歓迎され、徐々に広まっていった。

 

 

第三項 漢詩詞類型漢俳の中國での環境

 古典定型は、長年の経過によって習熟の度を高め、著者が知る限りでも、百六十余の詩法が云われている。

 古典漢詩詞は詩法の難しさが却って障害となって、誰でも簡単に創作できる状況ではなかったが、かと云って、簡易に創作出来るであろうと思われた自由詩も、予想に反して思ったほどの拡大を見せなかった。

 時は移り、改革開放政策が叫ばれた丁度その時、詩法に余り囚われない、自由詩と古典詩の折衷した定型としての、漢詩詞類型漢俳の誕生である。

 誕生して間もないから、詩法も整っていない。此が却って幸いして、詩歌の知識が少ない者でも、自由に趣旨を綴る事が出来て、容易に創作が出来るとの評価を受け、此が詩歌大衆化の要求に合致した。

 

 

第四項 漢詩詞類型漢俳に対する日本での反応

 漢詩詞類型漢俳の誕生と詩歌大衆化の情報は、既に二十年前に、日本の漢詩壇にも、伝わった。

 漢詩詞類型漢俳が、日本の漢詩壇に紹介された理由は、「詩法知識の乏しい者でも簡単に対応出来る」から、である。漢詩壇では、古典定型を縦横に創作出来る能力があるのだから、敢えて、簡単な定型を取り入れる必要はない。

 又、一時期漢詩詞類型漢俳が話題となって、定例討論会の議題に上ったが、編者の知る複数の漢詩壇でも、漢詩詞類型漢俳の創作の必要性は無い、との結論に到った。

 日本漢詩壇では、漢詩詞類型漢俳に関する情報は夙に広範に伝わり、恐らく半数の漢詩人は、既に二〇年前に漢詩詞類型漢俳の創作を試みている。

 編者は、日本詩歌壇の情報には疎いが、例えば会員一千万人と自称する俳壇に於いて、その半分の五百万人に漢詩詞類型漢俳の情報が伝達されたであろうか?創作を試みたであろうか?研究討論会を開催したであろうか?

 

 

第五項 漢詩詞の側から看た漢詩詞類型漢俳

 漢詩詞類型漢俳の誕生当時、中国詩詞壇では、知識未熟な者でも対応出来る定型詩歌、と云はれ、この簡便性が幸いして、詩歌の大衆化が図れると云われた。

 編者も既に二〇年前古い時代の漢俳創作を試み、多数の添削に応じたが、そこで得た結論は以下の如くである。

 漢詩詞類型漢俳を純粋な漢詩詞と捉えて、簡便な儘で対応するのならば、極めて簡単に創作する事が出来る。然し、その結果として、長年に亘る衆目に堪えられる作品が出来る確率は低い。

 詩法を駆使して対応する場合は、余りにも従来の定型からかけ離れているので、詩法の安定的な対応が、極めて難しい。

 安定的な詩法の対応を為す技量を得るためには、少なくとも百余の詩法を熟知した後で無ければ、対応が不十分と成る。

 依って衆目に堪えられる作品を創る事は、とても難しく、七言律詩創作以上の技量を必要とする。

 

 

第六項 漢詩詞類型漢俳の創作傾向

 漢詩定型の殆どは、偶数句、四句以上で構成されている。漢俳は三句構成であるから、起承轉合の何れかが欠落する。更に、五字句と七字句が混在する。

 この事は、従前の定型とは基本的に異なり、従来詩法の対応に頗る支障を来す。

 依ってこの事を解決するには、新たに高度な詩法を創出しなければならないので、殆どの創作者は、安易な方向を選び、自由な発想、新たな詩法と自称して、安直に逃れる傾向がある。

 

 

第七項 俳句の関連詩歌として看た漢俳の定義

 漢俳学会設立を契機に、漢詩詞類型漢俳は大きく其性格を転換した。

 即ち、漢詩詞類型漢俳が「俳句関連漢俳」に成ったのである。俳句の詩法は漢詩詞の詩法と全く異なるので、漢俳を日本俳句と関連付けて対応する場合は、既に漢詩詞の一定型ではなく、漢語綴りの俳句と云う定義が、妥当である。

 依って漢俳は、漢詩詞とは性格を異にし、詩法を異にする、日本俳句関連漢語綴り定型詩歌と定義する。

 

 

第八項 海外論文の視点

 漢俳は誕生して日も浅いので、詩法も未熟である。拠って詩法の論説を爲すものも多い。

 然し此処で、論拠を見定める必要がある。漢詩詞の中の一定型としているのか?俳句との聯繋を承知しているのか?の、何れかを見定めなければならない。

 俳句との聯繋を拠点にしている論説でなければ、2005年3月、漢俳学会が示した、日本俳句との聯繋を前提とした漢俳の、詩法としての論説には成らない。

 論者がどれ程に、俳句を理解しているか?を先ず見定めなければ成るまい。

 

 

第九項 漢詩壇の俳句関連漢俳対応

 漢詩壇は漢詩詞の創作を専らとしていて、俳句関連の詩法は学んでいない。依って、漢詩詞壇として漢俳創作に対応する事は、事実上不可能である。

 又、総論で示すとおり、漢俳提案の相手方は、日本の俳壇であって、日本の漢詩詞壇ではないのである。更に、第四項での結論の示すとおり、漢俳は、数百有る定型の一つに過ぎず、敢えて取り上げるには値しない。

 又更に、詩法の全く異なる俳句の学習をすると、漢詩詞詩法との混乱を生じ、その結果、漢詩詞の創作が拙くなると云う、現実的な問題がある。

たとえて言えば
 漢詩詞壇が漢詩詞を創作するのは、中国服を着た京劇人形を作っている様なもの。
 漢俳を創る事は、中国服服を着た日本人形を作るようなもの。

2005-5月掲載

填詞詩余楹聯
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