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対象と自己TopPage

 詩詞の本義は自己心情の発露で有る。看て聞いて触って想って擬らえて等々色々な場面が有るが、それらを土台にして現在の自己心情を著すのである。

 目前の景色を見て自己の心情を著すなら、景色も自己も同一の次元に属す。過去の風景を思い浮かべて自己の心情を著すなら過去と現在、将来を想像するなら現在と未来など、自己とは時空を異にする。

 映画やテレビ、書籍などに対象を置くと、虚の対象物と実の自己との間で、虚と実の関係が生じる。これらの関係を曖昧に放置すると、模糊として切れ味に欠ける作品になって仕舞う傾向がある。


虚實

 虚実とは虚像の世界と実像の世界を言う。虚像の世界とは小説や演劇の世界で、実像の世界は、我々が生きている四次元の世界である。

 実像の世界から虚像の世界へ語りかけたり、虚像の世界から実像の世界に語りかけたり、又双方の往来も考えられる。異次元と異なるところは、異次元は虚構だけで成り立っているが、虚実は虚像と実像が並び立っている事である。

    渭川田家 王維
斜陽照墟落,窮巷牛羊歸。  1像
野老念牧童,倚杖候荊扉。  2像
雉啼麦苗秀,蚕眠桑葉稀。  3像
田夫荷鋤至,相見語依依。  4像
即此羨閑逸,悵然吟式微。  実像

 一二三四は作者以外の場面である。この場面と作者とは距離があり、作者は傍観者の立場である。九句目に、作者が登場し即此羨閑逸、この風景を目前にして、俗世を離れたのどかな安らかさが羨ましくなり、心に深く嘆いて、あの「詩経」の式微の歌を口ずさんでみるのだ。

 即ち作者の世界と、作者以外の世界を対照させている。

  月下獨酌 李白
花間一壺酒,獨酌無相親。
挙杯邀明月,對影成三人。
月既不解飲,影徒随我身。
暫伴月将影,行楽須及春。
我歌月徘徊,我舞影零亂。
醒時同交歓,酔後各分散。
永結無情遊,相期遙雲漢。

 人格のない月と作者が、恰も人格のある者同士の如くに振る舞う様は、虚実の場面である。

 詩歌の場面設定を突き詰めれば、その殆どは虚構の世界と言わざるを得ない。そう言ってしまえば、この項目の存在意義はなくなる。

 その殆どが虚構である事を前提にしても、他の虚構とはかけ離れている場面設定をこの項目の範疇とする。

 

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