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仮称錯綜TopPage

 こういう詩法が一般の認識に有るか否かは定かではないが、幾たびか目にしたことがあるので、知識の一つとして、此処に紹介する。「錯綜」の名称は編集上講題が必要なので仮に付けた名称である。

 五言並びに七言、何れの作品でも目にしたことがあるが、解説の便のために七言で解説を試みる。(勿論五言の場合は二字減らせば良い)

起句 △○●● ●○◎,
承句 ▲●△○ ▲●◎。
転句 ▲●△○ ○●●,
合句 △○▲●

●○◎。

 七言絶句の起承転合の各々の句は、四字と三字の構成である。そして、この四字の語彙がお互いに入れ替わる。或いは三字の語彙がお互いに入れ替わる。或いは三字句の一部がお互いに入れ替わる。四字の中の一部が互いに入れ替わる。概ねこの四種類の構成が考えられる。

 当然の事ながら語彙が入れ替われば、平仄も入れ替わり、正格から外れる事もある。正格から外れた形式は、拗体と謂う形式として、格律の範疇にある。依って拗体だから錯綜だとは言い難く何の興味もそそらない。

 錯綜の定義を喚起するに、以下の如き状況がある。

 格律は正格で有るが曖昧な内容で有る。平凡に過ぎる。何処かに若干の齟齬がある。ところが、字句の有る部分を互いに入れ替えると、格律は拗体に成るが、とたんに説得力有る内容に変身を遂げる。

 格律は拗体で有るが其ればかりでは無く、内容が平凡に過ぎる。ところが字句の一部を互いに入れ替えると、途端に正格となり、而も内容が著しく改善される。

考察−1
 表面的に見れば、文字の双方交換は読者の自発行為として見られるが、一歩踏み入れて、見方を変えれば、作者が意図を持って予め織り込み済みの作為で、実は読者の自発行為ではなく作者の意図するところで有った。

考察−2
 文字の入れ替えは、同じ位置にある文字を双方に入れ替えるのであって、規則性が有り、無闇に入れ替えているのではない。

久濶会朋(拗体)

久濶会朋數畝園,故郷竹馬念同游。
把杯杯映霜髪影,拈句句迷桜花憂。

 久しぶりに竹馬の友と逢って、子供の頃のことを話すと一緒に遊んだことを思い出す。杯を執ると杯は白髪頭を映し、句を拈ると、桜の花の憂に迷う。と謂っているが、合句の「桜花憂」が拙で有る。

此を組み替え、「桜花」と「霜髪」を入れ替えると。

久濶会朋數畝園,故郷竹馬念同游。
把杯杯映桜花影,拈句句迷霜髪憂。


 久しぶりに竹馬の友と逢って、子供の頃のことを話すと、一緒に遊んだことを思い出す。杯を執ると、桜の花影が映り、句を拈れば、句は白髪頭の憂に迷う。

評:原作は拗体で有る。合句の「桜花憂」は今一歩である。桜花と霜髪を入れ替えると、把杯杯映桜花影は表面的な華やかさを表現し、拈句句迷霜髪憂は内面的な加齢に依る憂いを表現している。

解;見つけ方の一つに、定型と当該作品とを重ね合わせてみる方法がある。定型と異なっていたら、句などの配置を換えて定型と同じにしてみます。こうしますと案外簡単に絡繰りが解ける場合が有ります。

活用
 表向きの内容は、拗体で作っておいて、文字を双方に入れ替えて正格にすると、裏の内容、即ち作者の本意が顕れる様にする事も、活用の一つである。

注意点
 相手を選ばずに、この詩法を織り込んだ作品を提示すると、酷く貶される事があるので注意を要す。

 詩法に適わぬと思われる作品に遭遇したとき、その拙さを指摘する前に、この様な詩法のあることも念頭に入れて読み直すことである。もし作者の故意を見落として、拙さを指摘したのなら、其れは取りも直さず自分の拙さの証明とも成りかねない。

 

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