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宮体

 宮体は南朝梁時代の簡文帝蕭網から始まった。彼と彼の臣下達の宮廷での乱れた生活や、頽廃した感情や、風花雪月を詩題に詩を書いていた。
 内容は品もなく、風格も淫靡である。詩壇に於いて一時的に形式主義の逆流となった。陳・随兩朝を経て、唐の太宗李世民までの間、宮体詩は盛んであった。

  『文選』と同じく、梁時代に編纂された詩のアンソロジー。梁の簡文帝蕭綱の下で徐陵が編集したもので、女性の閨情や女性の美しさを表現した詩を中心に収める。当時、簡文帝のサロンでは、「宮体詩」と呼ばれる艶詩が盛んに作られていた。『玉臺新詠』には、漢時代以降の艶詩が集められているが、その中でも梁時代の作品が大半を占める。

 

  禄玉臺新詠 古絶句

南山一桂樹,
上有雙鴛鴦。
千年長交頸,
歡愛不相忘。

  謝○注:○;U6713 チョウ 月+兆
  玉階怨
夕殿下珠簾,
流螢飛復息。
長夜縫羅衣,
思君此何極。

 

沈 約

   昭君辞
朝発披香殿。   朝に披香殿を発し
夕済汾陰河。   夕に汾陰の河を済る
於茲懐九逝。   茲に於て九逝を懐い
自此歛双蛾。   此れより双蛾を歛める
沾妝疑湛露。   妝を沾すは湛露かと疑う
繞臆状流波。   臆を繞るは流波に状たり
日見奔沙起。   日に奔沙の起るを見て
稍覚轉蓬多。   稍く轉蓬の多きを覚え
胡風犯肌骨。   胡風 肌骨を犯し 
非直傷綺羅。   直に綺羅を傷うのみ非ず
銜涕試南望。   涕を銜んで試みに南望すれば
関山欝嵯峨。   関山 欝として嵯峨たり
始作陽春曲。   始めは陽春の曲を作し
終成苦寒歌。   終りは苦寒の歌を成す
唯有三五夜。   唯だ三五の夜に
明月暫経過。   明月の暫らく経過するのみ有り

 

  『六憶詩』
   憶來時
的的上階○
勤勤聚離別
慊慊道相思
相看常不足
相見乃忘飢
注:○;U5880 チュウ 土+犀

来る時を憶(おも)う 的的(てきてき)階○(かいち)より上(のぼ)る
勤勤(きんきん)離別より聚(ある)まる
慊慊(けんけん)相思を道(い)う
相い看るも常に足らざりしが
相い見れば乃(すなわ)ち飢(き)を忘る

 

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