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話題45 | ■従前記事の転載 管理人 2006/12/4(月)21:35返事 / 削除

■詩詞創作の要旨 2005/1/10(月)14:21

■詩詞創作の勘所 中山逍雀

詩詞創作の勘所
 小生は、諸賢の添削を受付ている。其処で詩と文の相違点は押韻の有無で有ると言っている。その他にも幾点かはある。
 さて其れではと、寄稿作品に目を遣ると、
1−ご自身の意思が汲み取れない。
2−押韻はあるが、ただ沢山書くだけで、文との区別が付かない
3−入り口が煩雑で中に入れない。
4−中に入っても、心を打つ語、即ち詩眼が見あたらない。
5−出口が分からない。
6−出て仕舞うと、心中に残る事がない。

 幾点か挙げたが、ここから、詩を作る要点を捜せば
1−小は曄歌から大は連作まで、作者の言いたい事は一つに決める。あれもこれも・・・は既に詩ではなくて、詩の形を借りた文である。例えばデパートの商品を、分別せずに陳列したらどうなりますか?何がなんだか訳が分からなくなります。
 デパートには沢山の商品がありますが、コーナーに依って分別展示されています。そして全体として、「松坂屋」「三越」と言われるような、品揃えをしているのです。大型店は「連作」に相当します。

2−入り口は簡素にして、読者を誘い込む魅力がなければならない。幾ら立派な商品を並べても、お客が入ってくれなければ、駄目!

3−中に入って頂いたら、有る程度の品揃えをしなくては駄目。折角入って貰ってもガラクタばかりでは駄目。

4−目玉商品を置かなくては駄目。即ち「詩眼」が無ければ駄目。

5−こんな商品もありますよ!と一寸趣の変わった商品を案内する。これで店の幅が広がる。「転句」で有る。

6−客を送り出すときは、もう一度来てみよう!と言う気を起こさせるテクニック。即ち「合句」で有る。全部用足りた!と言って帰った客は、再来店はしない。其れで客が離れる。即ち「結句」の善し悪しで決まる。


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■詩詞の本義 2005/1/10(月)14:23  
■詩詞の本義 中山逍雀

 私は漢詩詞について、自分なりの定義付けをしている。詩詞とは、己が長年の人生経過に基づく情念の発露であると!
 吟社の会員にはその都度話しているが、拝顔に浴していない寄稿者も居るので、此処で改めて書いてみた。
 時折、何をお考えなのか全く読み取れない作品が寄せられる事がある。訴えようとする事柄が読み取れないのである。
 亦、完全に自己乖離したような、空想の世界に身を置く作品、これも小生には手に負えぬ作品だ!
 筆を入れさせて貰った後で、会員諸氏には必ず、再度筆を入れるようにと言っている。其れは技巧上の理由に基づくのではない。
 寄稿者の意図を読み取って見栄え良くするのが、批正者の勤めだが、所詮、私には投稿者の心情は分からないのである。結果として、私の人生観に基づく解釈をして筆を入れる結果となる。
 だから、もう一度筆を入れるように、と言っているのである。
 作者から乖離した作品は、「詩」と謂うべきではないだろう!

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