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元曲
這事項根拠中國詩詞壇誌論説

 漢民族詩歌に於いて、詩と詞と曲は中国詩歌史上の三座と称され、一般に唐詩、宋詞、元曲と言われている。詩詞は文字表現を主体とする文化で有るが、曲は歌詞の創作を做すが、歌唱を主体とする芸術で、詩詞とは表現主体を異にする。

 詩詞と曲の違いは、詩は詩語を多用し、作者の心は物事の深奥に向かう。唐代に完成され、文字に依って表現し、その叙事法は「興」である。

 詞は書面語を多用し、主体は叙情詩で、隠喩を用い含蓄を尊び、典雅に重きを置き、文字によって表現し、その叙事法は「比」である。

 それに引き替え、詩詞では、俗語や口語を忌み嫌うが、曲は俗語や口語を多用し、自然の酣暢を尊び、直裁的な事実を唱う。作品は演者の声によって表現することを主と為し、「賦」を主な叙事法とする。

 曲は一般に元曲と言われ、元とは蒙古族による異民族支配下の時代を指す名称である。中華大陸総人口の八割を占める漢民族からすれば、蒙古族占領下、元の時代の曲という意味である。

 元曲には、戯曲と散曲の二通りが有る。散曲には元の時代に盛になった北曲と、時代が下がって、明代に成って、盛になった南曲とがある。(明は南方地域に朱元璋が建国した政権)

 北曲は蒙古族の占領下に於いて盛になり、南曲は朱元璋の建国に相俟って、明の時代に盛になった。

 一般に元曲と言えば、散曲を指し、散曲と言えば北曲を言う。本稿も其れに倣って解説を為す。

 漢民族は唐代に、極めて文化的価値の高い詩歌として、唐詩を完成させた。然し豊かな治世は何れは凋落し、時代の趨勢を写して宋代には詞が誕生した。然し宋代も長くは続かず、遂に漢民族国家が崩壊し、異民族(女真族)の占領支配下となる。即ち「金」の時代である。

 女真族の占領政策は、唐の科挙制度の継続や、漢民族文化の温存等を施政に活用した。依って異民族占領下に有っても、文化の荒廃は免れたが、その後女真族の政権は蒙古族に依って打倒され、漢民族は女真族に換わって、蒙古族の占領支配下となる。

 蒙古族の占領政策は、女真族の統治政策手法とは異なり、漢民族の文化の象徴でもある科挙制度を廃止し、更に此まで培われた文明をも否定し、漢民族の生殺与奪は蒙古族の専横とした。

 蒙古族占領下に於いて、唐詩と宋詞に代わって台頭したのが、元曲である。曲は詞余とも言われていたが、時を経て散曲と言われるようになった。

 元曲には戯曲と散曲があり、散曲には北曲と南曲がある。蒙古族の侵攻により詞は衰微の一途を辿り、此に代わって北方胡人の俗謡が台頭し、散曲となった。(中原音韵)

 詞の主体は一種の抒情詩で有って、含蓄を尊び、典雅に重きを置き、 隠喩を常用するが、散曲は、自然の酣暢(酒を飲んで伸び伸びとした気持ち)を尊び、直裁的な事実を詠い、口氣は真と情に迫る。情は更に廣く、叙事の理を言う。即ち諷刺、嘲謔、嬉笑怒罵、尽情揮洒等であって、時代性と群衆性は頓に突出している。

 散曲と詞は一部に融通している處もあるが、蒙古族が進駐する以前にも、曲が無かった訳ではないが、古代では詞と曲の区別はなかった。亦、蒙古人は、詞を楽府と言ったこともあった。亦、ある人は、曲を詞余とも言った。

 

詞と曲の違いは

1−襯字

 詞は襯字を用いることは稀である。chen4 zi4

 曲は襯字を多用する

注;襯字chen4 zi4;戯曲などの歌の歌詞で口調を揃えるため、またはメロデイーに合わせるために加えられる字

 

2−用韵不同

 詞は平水韵 詞林正韵

 曲は北方地方の実際語の音韵を用いていた

 その後中原音韵を用いるようになった。

 

3−体式不同

 詞は単調、双調、三畳 等がある

 曲は3種あって、@小令、A帯過曲 一種の組曲 B套數 シリーズ曲

の三種類である。また、小令は比較的多い。

 

4−語言不同

@詞は比較的典雅 書面語が多い

A曲は通俗語、口語化され大衆化されている

 

5−風格不同

 詞は比較的含蓄に富み、主に婉約と豪放の二通りがある

 曲は賦を主な表現方法として、豪放と清麗の二通りがある

 

散曲概略

1−小令

 所謂小令で、一首単調の曲詞、その長さは種種あり、全句一韵到底格である。全曲雄渾壮闊の景色、驚天動地の歴史、沈郁凉の感情と精深警策の議論の完美を一体と為す。

 重頭、即ち同じ題の曲がある。例えば、中呂・売花聲の曲調で、連続して春、夏、秋、冬、の四首、毎首の韵各々不同て゛、題は総て「四時興楽」とされている。

 小令は詞と同様に、毎首毎に一個の曲調(曲牌)(中原音韵)がある。亦小令は散曲の中で流行した一つの体式で、即興の小品、抒情の單章である。小令には、「中原音韵315調」清代に編輯された「欽定曲譜334調」などがある。

それらを更に分けると

 仙呂宮41調・越調35調・中呂宮32調・正宮25調・黄鐘宮24調・大石調21調・南呂宮21調・商調16調・般渉調8調・商角調6調・小石調5調 などがある。

 仙呂宮41調とは、仙呂宮と言う曲調の中に、41篇の曲譜が有るという意味である。曲調とは七音十二律などと言うが、七音とは、宮・商・角・変徴・徴・羽・変宮、を指して七音と言い、十二律とは、黄鐘、大呂・太簇・夾鐘・姑洗・仲呂・○濱・林鐘・夷則・南呂・天射・應鐘、を指して十二律という。細要は音律の専門家に任せる。○;(艸+豕+生)(U8564)

 

2−帯過曲

 一種の組曲であって、“帯”“過”“兼”などの字が用いられる。組曲は二個以上であって三個以上はない。音律は相通じて、相互に関連し連綴して、同じ音律内の曲調を組み合わせて作られた曲を言う。

 その組み合わせは決まっていて、概ね三十種類有る。

一例

[正宮]−−《脱布衫》帯過《小梁州》

 

[南宮]−−《駕玉朗》帯過《感皇恩》《采茶歌》

[南宮]−−《哭皇天》帯過《烏夜啼》

 

[双調]−−《雁兒落》帯過《得勝令》

[双調]−−《水仙子》帯過《折桂令》

 

[中呂]−−《齋天楽》帯過《紅衫兒》

[中呂]−−《快活三》帯過《朝天子》

 

 帯過曲は一般に作者が一調を作った後、一寸物足りないときには、再び一二個の宮調が同じで、音律の相性の良いものを入れ替えたり、付け加えたりして、作られた。

 

3−套數

 套數は散套或いは聯套とも云う。此は同一宮調の若干の支曲で、一定の規則で聯綴されるシリーズ作品の事で、散曲中の套數は、役者の台詞や仕草には係わらず、全套一韵到底である。

 毎 套に必ず《尾》《熬》《収尾》《熬尾》《結音》《慶余》が必要である。

套數の構成には一定の決まりがあり、例えば仙呂宮を例とすれば、

例一

 点絳唇−−混江龍−−油葫蘆−−天下楽−−○咤令−−鵲踏枝−−寄生草−−熬尾
 ○;口+那

 

例二

 点絳唇−−混江龍−−油葫蘆−−天下楽−−后庭花−−青哥儿−−賺熬

 

例三

 点絳唇−−混江龍−−村里迎鼓−−寄生草−−熬尾

 

例四

 村里迎鼓−−元和令−−上馬橋−−勝葫蘆−−熬尾

 

4−麼篇

 この他に、散曲には“麼篇”の作法がある。即ち、もし一個の曲が完了しても、未だ意が尽きないとき、原調を再度重複して用いる事がある。これを“麼篇”と言う。

 “麼篇”は又“前腔”と書くこともある。凡そ後首開始の時は“麼篇”と書き、その次に続けるときは“前腔”と書くようである。“麼篇”は後首開始の一回だけしか用いられないが、其れに続く“前腔”は、その後、何度でも書くことが出来る。

 

5−散曲の平仄と押韵

 詩も詞も曲もその発祥当時は口頭吟誦文化である。先ず詩が口頭吟誦文化として発祥した。次いで宋の時代に口頭吟誦文化として詞が発祥した。詞が盛んになると、詩は吟誦文化から、文字の文化へとその立場を移した。次いで曲が盛んになると、詞は文字による文化へとその位置を換えた。
 曲律は曲譜(吟誦譜)に基づいており、曲の平仄は曲譜から離れることは出来ない。依って現代の状況は、詩律は寛にして詞律は厳、曲は更に厳と言われている。散曲は声に出して歌うことを前提にしているので、当然の理である。

 小令は無論のこと、帯過曲と套數も総て一韵到底である。勿論中間で換韵する事もない。

 平仄不通押は偶に見られるが、平仄通押は常に見られ、押韵に付いては更に厳格で、平上去の分別は、曲譜の中でみな明角に規定されている。

 借韵と言う韵法が有る。曲によっては、似通った等の、隣同士の韵は通韵が可能と言う規定がある場合がある。

 不避重韵と言う規定がある。過帯曲套數曲など一曲支中で同じ韵字を何度も用いる事は許されている。

 充許贅韵と言う規定がある。本来その様な韵が用いられない地方では、その韵を用いなくとも宜しい。

 使用暗韵と言う規定がある。専門的になるので、此の講では省略する。

 

6−散曲の對仗

 散曲には對仗が各所に用いられ、詩詞とは異なる對法もある。

@両句對 合璧對

A三句對 鼎足對 三槍對

B四句對 連璧對

C扇面對 隔句對

D長短句相對

E連珠對 多句相對

F両韵對 出句末字と対句末字と同一韵部

G首尾相對

H句中自爲對

 

7−襯字

 襯字chen4 zi4とは戯曲などの歌の歌詞で、口調を揃えるため、またはメロデイーに合わせるために加えられる字言う。

 どの曲譜にも襯字が有るわけではない。曲譜の中から襯字の有る譜を選び出し、併せて帯過曲も提示して、解説の便に供す。

 

  [正宮]醉太平

  此の曲牌小令兼用。又名[凌波曲]。亦人[中呂]、[仙呂]。定格句式:44,74,7774,共8句,第1、第2、2句須合璧對,第5、6、7句須鼎足對。

―○―|上,+○|―平。+―+||―平。+―○|上。
人皆嫌命窘,誰不見銭親。水晶瓊入麦糊盆。才沾粘便滾。

+―+|+―去,+―+|――去,+―+||―平。――○去上。
文章糊了盛銭□,門庭改做迷魂陣,清廉貶入睡混沌。胡廬提倒穩。

注;
□;□+屯 dun4
上は同一韵の上聲で押韵する。平は同一韵の平聲で押韵の事。去は同一韵の去聲で押韻する。
○は襯字である。提示の曲譜には襯字の位置を示すために、編者が○標を書き込んだが、通常の曲譜には○標の記載はない。

  [中呂]十二月過暁民歌
  [十二月]は小令兼用である。應帯[暁民歌]は一つだけで用いることはない。此の帯過曲の定格式は:44,44,44。77,77,255。共に十五句。第1から第6句までは連珠對,

[十二月]
○○○――|上,○○○+|―平。○○○――去上,
自別后遥山陰陰,更那甚遠水鱗鱗。見楊柳飛錦滾滾,

○○○+|―平。○○○――|仄,○○○+|―平。
對桃花酔臉醺醺。透内閣香風陣陣,掩重門暮雨紛紛。

[暁民歌]
○+―+||―平,+|――|○――!+―+||―平,
怕黄昏忽地又黄昏,不消魂怎地不消魂!新啼痕壓舊啼痕,

|+―+|―平。―平,――||平,+|――去。
断腸人憶断腸人。今春,香肌痩幾分,楼帯寛三寸。

注;
この曲譜は十二月と暁民歌の組み合わせによる帯過曲である。
上は同一韵の上聲で押韵する。平は同一韵の平聲で押韵の事。去は同一韵の去聲で押韻の事。仄は上去を問わず仄聲で押韵する。

○は襯字である。提示の曲譜には襯字の位置を示すために、編者が○標を書き込んだが、通常の曲譜には○標の記載はない。

 

  [南呂]罵玉郎帯過感皇恩,采茶歌

[罵玉郎]
+―+|――去,++|、|―上,+―+|――去。+|+,||+,――去韵
無情杜宇閑淘氣,頭直上、耳根底,聲聲聒得人心砕。爾怎知,我就是,愁無際?

[感皇恩]
+|―平,+|―平。|――,―+|,|―平。
簾幕低垂,重門深閉。曲欄邊,雕檐外,画楼西。

○――||,○||+―。+―韵。+―去,++韵。
把春醒喚起,将暁夢驚回。無明夜。閑聒噪,厮禁持。

[采茶歌]
○|―平,○|―平?+―+||○+○平。
我幾曽離,這綉羅幃?没來由勤我道不如歸。

+|+―++上,+―+||―○○―平。
狂客江南正着迷,這聲兒好去對掩那人啼。

注;
この曲譜は罵玉郎と感皇恩と采茶歌の組み合わせによる帯過曲である。

上は同一韵の上聲で押韵する。平は同一韵の平聲で押韵の事。去は同一韵の去聲で押韻の事。仄は上去を問わず仄聲で押韵する。
韵と書いてあるところは、平仄を問わない押韻である。

○は襯字である。提示の曲譜には襯字の位置を示すために、編者が○標を書き込んだが、通常の曲譜には○標の記載はない。

 

 

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