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天下の不幸は詩家の幸

 天下の不幸は詩家の幸と言う言葉がある。日本の詩家が詩の作れない言い訳に、よく使う。是は、日本は平和で何事もない!と言っている積もりだろうが、本当に何事もないのかね!

 世界は、力は正義なり!の思想が蔓延し、国内では道徳が崩壊している。

 新聞を開けば経済事犯、テレビのスイッチを入れれば、殺人、ラジオを聞けば地球環境破壊、是で何処が平和ですか?平穏ですか?

 詩家は心を研ぎ澄ませて、時代の先端に臨まなければならないのでは、ないですか?漢詩詞は、その成立の歴史から、最も適切な詩歌なのです。

 どの詩壇の漢詩作品を見ても、作品の気迫に欠けます。いま、漢詩詞詩家に与えられた使命は何ですか?

 悠長に花鳥風月を謳っている時では無いと思います。

 日本の詩歌はほぼ平穏な世の中で育ってきた。だから平穏な物事を写すのに適している。

 漢民族の詩詞は異民族との抗争の中で育ってきた。だから、今の世界の、日本の、状況を写すには適している。

 詩歌には、その詩歌が育った歴史がある。悠長な物事を謳うには日本の詩歌が適していて、訴えようとする気迫には、漢詩詞が適している。

 詩歌には、それぞれに適不適がある。

 一つの樽に何でも入れようとするのは無理です。味噌を造るには味噌樽。酒を造るには酒樽です。

 夫れでは、世上に対する憤りを句にすればよいのかと言えば、夫れでは作品になりません、「興」の詩法を用いなければ成りません。

 古典詩を文字面で読めば、殆ど平穏な描写ですが、是を「興」で読んでご覧なさい。何を訴えているのですか?夫れが分からなければ、詩を理解しているとは言えません。

 

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