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詩を作る態度−私の場合 其之八TpPage

 私が三十歳半ば頃に両親は他界した。漢詩の創作に手を染めたのは、それからずっと後のことだが、それでも父母への感情はかなり強く残っていた。父母への情は御しがたく、筆を執ると堰を切った水の如く溢れ出して、直ぐにページが埋まって仕舞った。

 父母への情も已に過去となった今、たまたま作品の切れ端に出会うと、言葉遣いの上手下手とは別に、自分よがりな、自分自身に填り込んで、読む人をしてなんとも言い知れぬ鬱陶しさに、自分自身で呆れる始末である。

 何故なのか?それは自分のことが精一杯で、読んでくれる人のことなど微塵も考慮されて居なかったからなのだ。自分の作品を自分が読んで、何が読者の立場だ!と云うかも知れぬが、同一人物であっても少し日を措けば、作者と読者は各々別の人格となるのだ。

 だからと云って日を措いてから作り直していては埒があかぬ。今すぐと言うには先ず、物事を客観視する事から始まる。これが今の私に言えることだ。

 数年前、長江旅游に出かけた。だが未だにその時のことを作品にしていない。帰宅後多忙を窮めたことも有るが、それ以上に主観が蔓延りすぎて終始が付かなかったこともその一因である。

 

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