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漢俳考 02TpPage

お断り
 漢俳は俳句との関わりが言われているので、俳句関連の諸賢も閲覧される機会が有ると思われます。編者は俳句の詩法を知りません。依って本稿の解説は漢詩詞の一類としての解説で、俳句との関連については、一切の考慮をしておりません。

 今から18年ほど前、日本俳壇と中国詩壇の交流会席上、趙朴初先生が日本俳壇への敬意を込めて“漢俳”を披露したと聞き及ぶ。

 此の余興として漢字の戯れが、字義の読み違いや中国人気質の理解不足から、いつの間にか「新たな定型を披露した!」に入れ替わってしまった。更には中国詩壇が日本詩壇に手を差し伸べた等という言葉さえ出る始末。中國には古来より2千余の詩歌の定型があるが、更に中日友好の意図を込めて“漢俳”を追加したのだとも言う。

 さて、中国詩詞には詩の六義と言い、叙事三義即ち賦比興を基本とし、細大洩らさず述べて、これを一点に絞り込む手法と言える。そして鴬啼序 宋高似孫の作品は四段241字で少年游 周邦彦は59字、通用する詞の最小は16字の十六字令、七言古詩では白楽天が詠む“長恨歌”は120句で、楚辞離騒は375句、唐詩選では杜甫の“落日洛城謁玄元皇帝廟”「豪韵」が五言排律で28句の作品がある。

 現在でも中国人の作品は大半が漢字50字以上の作品で、日本の平仮名に換算すれば約100字以上の作品と言える。日本に広く流布している20字の絶句や、今世紀に新たに加わった17字の漢俳などは小令の部類に入る。

 中国詩詞には、当初述べた通り一貫した叙事法があり、文字数が少なく成ったからと云って、この手法は変わらず、単に簡略化或いは凝縮したと云うべきである。言い換えれば、長恨歌”120句の叙事法も16字の十六字令のそれも同じだと云える。

 中國詩詞は、長文から短文への移行と云う歴史的経緯があり、例えば律絶は律詩から派生し、古絶は古詩から派生したと云う経緯がある。

 通用する詞で最小と言われる十六字令と七言四句詩の関わり合いを検証してみよう。

春夜洛城聞笛 李白
誰家玉笛暗飛声,散入春風満洛城。此夜曲中聞折柳,何人不起故園情。
        声,散入春風満洛城。       聞折柳,  不起故園情。

客中行 李白
蘭陵美酒鬱金香,玉碗盛来琥珀光。但使主人能酔客,不知何処是他郷。

 七言四句の詩から16文字を残して削除すれば、残った16文字はちゃんと十六字令の作品として成り立つ。この事は十六字令が偸声と云われる所以でもあり、たつた16文字の詞でも其れは28字の作品を骨幹にして居る事の証明ともなる。

 漢俳(漢字の戯れ言)を披露した趙朴初先生が、従来とは根本的に異なる画期的な叙事法を披露したとは聴いて居ないので、文字数は17字でも手法は中國の従来の手法を踏襲したと思はれる。

 中国詩の必要最小限の要素は、韻母と声調の二っである。そして韻母を重ねて用いる事を押韻とて云い、漢俳も的確に押韻されている。

 中國から寄せられた作品を鑑察すると、次に示す2つのパターンに大別される。

歓迎日本吟誦代表団 丁芒

古韻入東瀛。千年島国伝唐音,万里飄簫情。

は古韻入東瀛yingの章と、千年島国伝唐音yin+万里飄簫情qingの章との、二つの章から構成されている。

風雅自存心,武夫槍炮任狂鳴。終不盖天声。  は風雅自存心xin+武夫槍炮任狂鳴mingの章と終不盖天声の章shengとの、二つの章から構成されている。

 韻母と句の配置は前述の如くである。この他に、箇々の字句を見ると、文字数の少ないことを補う手段として典古の使用が見られるなどして、「少令」とさほどの相違はない。即ち“漢俳”は少令の一つであると云え、十六字令が七言四句(漢字28字)と同等の叙事が出来ることから、1文字多い漢俳も七言四句(漢字28字)の叙事はされていると思われる。

 視点を移して、同じ「俳」の文字を使っている“俳句”との関係はどうかと云うと、披露の動機からして日本俳句との相互疎通は前提にしていないのだし、単純に仮名綴りに換算しても文字数が二倍ほどあり、漢俳は少令の一つだとも云えるので(中国人も少令の一つであると云う)、俳句との整合性はないのではないかと思うが、その論は俳句の専家に委ねよう。

 

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