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漢俳考03TpPage

お断り
 漢俳は俳句との関わりが言われているので、俳句関連の諸賢も閲覧される機会が有ると思われます。編者は俳句の詩法を知りません。依って本稿の解説は漢詩詞の一類としての解説で、俳句との関連については、一切の考慮をしておりません。

 昨今の漢詩詞と俳句の交流の現状に鑑み、漢詩詞の詩法を基準にして俳句を解析した論考が欲しいのである。身辺に見あたらないので、専門外を承知で考察を試みた。

1−概論
 漢俳は近来、日本詩歌と中国詩歌の橋梁として、俄かに脚光を浴び、中国を発祥の地とする小令(詞)で有る。この詞の形式は、日本俳句の五七五の音数律數の配置に倣って、漢字五七五の三句で構成される。

 この詞の形式の音数律韻律などの要素と、日本の詩歌との整合を調べた結果、この詞形式に符合するものは無かった。

2−俳句との比較
 この詞の名称が、漢俳という以上、俳句との整合性を調査するのが妥当だろう。同一人が創った両種の作品があるので検討の材料として提示しよう。

俳句   朝顔や重たしと露揺りこぼす    李芒

漢俳   牽牛帯露開,晶瑩猶恐汚顔色,揺曳落塵埃。

俳句に記載された情報は、
1−朝顔や                 牽牛花      
2−重たしと                重
3−露                    湿露       
4−揺りこぼす                   揺動○落

4個の情報である。

これに対し漢俳の場合は、
1−牽牛花               
2−帯露
3−開                 
4−晶瑩
5−猶恐                
6−汚顔色
7−揺曳落               
8−塵埃。

 表面上の情報量だが、俳句が4個の情報に対して、漢俳は8個の情報が叙述されている。仮に、俳句が原作で、漢俳が翻訳ならば、明らかに漢俳は原作にたいして余分な情報が追加されている。その情報量は2倍となる。これとは逆に、漢俳を俳句に翻訳したとすれば、情報量は半分である。また次に同一人の作品を一首提示して検討を試みよう。

俳句   読み終えてゲラに白髪や春の宵     李芒
漢俳   校様方看完,紙上瑩瑩飄白髪,春宵月已残。

俳句に記載された情報を提示すると、
1−読み終えて                  読結束       
2−ゲラに                    校様上
3−白髪や                    白髪        
4−春の宵                    春宵
4個の情報である。

これに対し漢俳は、
1−校様                 
2−方看完
3−紙上                 
4−瑩瑩
5−飄白髪                
6−春宵
7−月                  
8−已残

 これも文字で書かれた情報は、俳句が4個の情報に対し、漢俳は8個の情報である。假に俳句を原作として、漢俳を翻訳したとすれば、明らかに、漢俳は原作に対して多くの情報を付け加えている、その情報量は2倍である。その反対に漢俳を俳句に翻訳したのなら半分である。

3−検討
 翻訳若しくは置き換えと謂う場合、原作と情報が同じで無ければならない。前項の調査結果を見ると、表面上明らかな情報量の相違がある。然しこの事を以て、記載内容が同一ではないとは言い難い。

 同じ漢詩詞ならば、殆ど同じ叙事法であるが、俳句と漢俳を比較すると、漢俳は韻律、俳句は音数律、漢俳は起転結、俳句は起転と、互いに叙事法を異にしているのである。

 俳句と詩詞の構成要素はその他にも、対象に対する視点の位置、対象の捉え方、即ち対象を広範に捉えるか、狭窄に捉えるか、捉えた対象を収束させるか、拡散させるか、などの問題がある。漢俳と俳句は、簡単に言えば、詞と俳句との詩法が交錯しており、極めて複雑な手法を必要とする。

 漢俳は小令で有るから、漢詩詞の詩法に順じるので、作品に内包する情報の集積は容易いが、俳句の場合は高度緻密な俳句の手法に依るので、情報の集積が容易ではない。比較検討という場合には、同一条件が原則となるから、俳句の場合は、文字以外の情報として読者の感得、即ち文字に依らない情報も集積の対象に含めなければならない。

 この様な条件を揃えた上で、両者を比較すれば、漢俳と俳句の双方に、情報量の相違はさほど無いように思われる。

 これらの結果を検討すると、此処に示した漢俳と俳句は、概ね翻訳若しくは置き換えの関係で有ると言える。只この結論は、俳句は文字に依らない読者の感得情報も集積の対象としており、この前提に依らなければ、例示した四作品は、各々無関係な個別の作品といえる。

4−置き換えの注意点
 漢俳から俳句への置き換えの場合は、漢俳の起転結の情報を俳句に移し替える。そしてその結果、俳句を読んだ読者の感得が、漢俳の結句と同じになるように案配する。

 俳句から漢俳への置き換えの場合は、俳句の文字情報と、俳句を読んだ読者が感得するであろう文字以外の情報をも総て移し替える。俳句を読んだ読者が感得するであろう総ての情報を移し替えなければ、俳句の情報量と漢俳の情報量は、明らかに相違があり、相互の置き換えは不可能であると謂わざるを得ない。

5−漢俳の創作
 前項記載の検討は、情報量にのみ視点を合わせたが、詩詞の構成要素はその他にも、対象に対する視点の位置、対象の捉え方、即ち対象を広範に捉えるか、狭窄に捉えるか、捉えた対象を収束させるか、拡散させるか、などの問題がある。

 漢俳と俳句は、簡単に言えば、詞と俳句との詩法が交錯しており、極めて複雑な手法を必要とし、俳句の創作よりも更に難しいのではないかと思われる。

 

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