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曄歌TpPage

前書き
 物事を解説するには、相手の基準に合わせなければならない。文学愛好者にシーケンスやエンタルピの話をしても恐らく、シーケンスは技術で、エンタルピは熱力学論理である事に興味を示さぬ儘、耳を素通りして仕舞うだろう。ましてやその先の、A、B、C、などとなったら、耳元にも到らない。技術屋にしてみれば、A、B、C、渦、電界、電位、減衰、自己保持などは茶飲みの話題で、また仲間を換えれば、パーミッションやSSIなど仲間内では当然の常識、知らぬ者が居るなどとは考えも及ばないのだ。

 さて前置きはこれくらいにして、俳句を中国人に教えるにはどうするか?前述の技術屋と文学愛好者の対比と同じで、俳句愛好者なら常識でも、相手を換えれば常識ではないのだ。俳句愛好者が異文化の漢詩詞圏、漢詩詞愛好者に教えるのだから、先方様、即ち漢詩詞に基準を合わせなければならない。文学愛好者にエンタルピを解説するには、誰でも知っている位置のエネルギーを代替として、説き起こす。エンタルピと位置のエネルギーの違うことは、百も承知だが、方便も必要である。

 メートル法のメジャーで仕事をしている所へ、尺間の物差しを持ち込んで、あれこれ述べても、どうにも成らぬのと同じだ。尺間をメートルに合わせるのなら、尺間に換算目盛りを付けて対応しなければならない。

 昨今の漢詩詞と俳句の交流の現状に鑑み、漢詩詞の詩法を基準にして俳句を解析した論考が欲しいのである。身辺に見あたらないので、専門外を承知で考察を試みた。

1-誕生の経緯
 中国社会において、俳句の漢字書きは相当に古い時代から試行されていて、概ね十文字の漢字で書き表せるであろう事は、少なからず認識を得ていた。これに論理的根拠を与え、「曄歌」と命名し、広範な中国詩壇に提唱し、中華詩詞学会に於いて、定型詩歌としての地位を確立したのは、1997年、日中国交回復二十五周年の事業としての、中山栄造新短詩検討会の討論の結果である。依って曄歌は絶句や律詩、詞と並んで「曄歌」の名称で、定型詩歌の一類と成っている。だから、「曄歌」の名称で、漢字文化圏のどの詩壇でも、定型詩歌として通用する。

 曄歌は日本詩歌を父とし中国詩詞を母として生まれた新たな独立した詩歌である。依って相互に通じ合うという特長を具備している。(新短詩四詩形;曄歌・坤歌・偲歌・瀛歌)

2−意義
 文化の交流には幾多の方法があるが、詩歌を媒体にしての交流もその一つである。然しながら、中国人に俳句短歌を作れと謂っても、所詮無理な相談である。同様に、日本人に漢詩詞を作れと謂っても所詮は無理である。それならば、双方で出来る簡単な詩歌はないのか?其処で候補に挙がったのが、俳句の漢字書きで有る。曄歌は、要領さえ掴めば、日本の中学生でも、中国の中学生でも簡単に出来る。中国語が出来なくとも、曄歌は作れるので、中国との詩歌交流は出来る。同じく、日本語が出来なくとも、日本との詩歌交流が出来る。その最も重要な意義は、詩歌を一般大衆に広める事で、曄歌の使命は、相互交流の道具である。先ず萬首を創り交流に役立たせる事から始めなければならない。内容云々はその後の事である。

3−俳句の特徴
 曄歌は、日本詩歌の俳句を父として生まれた新たに生まれた漢字書きの詩歌であるから、俳句の詩法との共通点がある。先ずは父となる俳句の詩法を、漢詩詞の立場から分析すると、中国詩詞と異なる幾つかの相違点がある。

3-1 韻律と音数律
 中国詩詞は、韻律であるのに対し、日本詩歌は音数律である。曄歌は、中国詩詞に倣い、韻律を用い、「押韻」を規定した。次に日本詩歌に倣い、「音数律」を規定した。即ち、一句目と三句目の押韻、若しくは、二句目と三句目の押韻である。次に音数律の、五七五を漢字三四三に置き換えている。

3-2 起承転結
 中国詩詞は、四句の場合は起承転結より成り立ち、三句なら起転結で有る。勿論、俳句にも起転結は備わって居る。ただ漢詩詞と異なり、俳句や川柳は短小なため、其れを補う手段として、巧妙な手法を用いているので、起句はこれ!転句はこれ!結句はこれ!と、簡単には指し示せないのである。 ただ一首全体を通せば、起転結は備わっており、恐らくその中には、文字に依らない情報として、読者の感得情報も一部を為している。

松尾芭蕉の俳句より抽出
金屏の松の古さよ
冬籠もり

夕顔や
酔てかお出す窓の穴

時鳥啼く音や古き
硯箱

菊の香や
庭に切れたる靴の底

蒟蒻のさしみもすこし
梅の花

麦飯に
やつれる恋か猫の妻

 一句を趣の違いで二行に分けて見た。只これにも多少の粗密が有るが、この趣の違いが、筆者の如き素人に、微妙な違和感を与える原因となる。 漢詩詞には、起転結が区別されているので、それぞれに情報を提示出来るが、俳句は、起転結がはっきりと区別されていない。漢詩詞と比べて俳句の作者は、少ない文字情報で、意図する情報を、如何に読者に感得させるかが、最も難しい作業となる。

 少ない文字に依って、其の意図する情報を、抵抗無く速やかに読者に感得させると謂う技巧が俳句には必要であって、この事は漢詩詞にはない俳句の特徴である。この技巧は、高度にして緻密な作業であり、俳句関係者でなければ講じ得ない。

3-3 語彙
 俳句は、制限された文字数の中で、より多くの情報を提供する事を要求される。その為には無駄な字句を省き、より洗練された語彙を使わなければならない。その一つに、季節に関わり有る典古としての「季語」がある。それぞれの語彙は、多くの事柄を誘引するキーワードの役目を果たす。

4−曄歌の作り方
 曄歌は俳句と通じる所があるので、漢字を用いる事と、押韻をする事以外は、総て俳句の技巧を踏襲している。曄歌の創作に当たって、押韻と漢字を用いる事以外、何らの前提条件を必要としない。置き換え、翻訳の場合も、俳句に記載された情報を只その儘置き換えれば、置き換え或いは翻訳の作品となる。

 曄歌の字句配置は、俳句に倣うことを原則とするが、俳句は余りにも高度で緻密なので、萬首を創ってからでないと云々は言えない。簡便にすれば次の如くとなる。

○○◎。           起句
○○○○+○○◎。       転句
               結句は、文字には表さず、読者が胸中で感得する。

若しくは
○○○+○○○◎。    起句
○○◎。            転句
               結句は、文字には表さず、読者が胸中で感得する。

註:◎は押韻文字である。
 俳句において、付きすぎず離れすぎずの関係は、起句と転句の関係に置き換えた。また安易な方法として、
○○◎。○○○○+○○◎。

季語             名詞
名詞             季語
若しくは
○○○+○○○◎。○○◎。
季語                 名詞
名詞                 季語
の様な配置をすると、簡便に、程々な作品が出来る。

5−俳句の一般認識
 漢詩詞に携わり、俳句に疎い人が俳句にふれると、一行が首尾一貫していない事と、漠然とした結末に、微かな違和感を覚える。然し、俳句を嗜む人が読むと、全体を胸中に感得して、違和感を覚える事はない。その原因は、漢詩詞の立場から見て、起句と転句が有って、結句がはっきりしない様に思える事に起因する。

 漢詩詞の立場から見れば、起句と転句とには、所詮、齟齬があって当然の事である。然し、作品の巧拙によって、齟齬が齟齬でなくなるのである。齟齬が却って、結句への誘導を助け、読者に作者の意図する結句情報を感得させるのである。この事を承知していれば、首尾の齟齬を嘆かなくとも良いのである。この齟齬の案配が、付きすぎず離れすぎずに該当する。


新短詩起承転合の構成

曄歌

 曄歌は三文字+四文字+三文字で構成される合計十文字の漢字書き定型詩詩で、漢字詩詞は最も小型な詩形である。これほどに文字数が少ないので、それなりの工夫をしないと詩詞として成り立たない。漢詩詞の成立要件は起承轉合で有るので、この起承轉合をどの様に配するかが一番の要件である。

   ○○◎    起
○○○○    轉
   ○○◎    合
 これは、古典四句の詩形をその儘踏襲した形である。

 

   ○○◎    起
○○○○     承
   ○○◎    轉
 これは、日本俳句の詩法を援用して、合句は書き表さず読者の感得に委ねる方法である。

 

   ○○◎    起
○○○○    承
   ○○◎    合
 これは、日本俳句の詩法を援用して、転句は書き表さず、全体を首尾一貫させる手法である。これは提示される情報量の少なさを逆に利用して、読者言外の想像を喚起させる手法である。

  此処に三例を示した。これ以外の組み合わせも試みれば幾例かは挙げられる。どの形が適切か、どの形が作りやすいかは、個々人に依って異なる事である。

 ご注意!
 短歌を如何に凝縮しても俳句には成らない。俳句は短歌の凝縮された詩形ではないのである。短歌と俳句は、その基点が異なるのである。同様に漢詩詞を如何に凝縮しても曄歌には成らない。

 曄歌は従来の漢詩詞と基点が異なるのである。外国人が曄歌を指して、余りに短小で詩歌として成立できない!と言う。その判断は、曄歌を他の詩歌と同じ基点に置いているから出る判断である。まず、基点が異なると言うことを理解しなければならない。

 

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