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第十四章 漢民族詩詞曲概略
這事項根拠中國詩詞壇誌論説

序文

 もし友人の人となりを知ろうとしたとき、友人の言動や業績など身近な所に情報を求めても、彼の本質を知ることは出来ない。

 深く知ろうと思わないのなら、身近な情報だけで事足りるが、彼の本質を知ろうとすれば、其れでは不十分である。少なくとも祖父母あたりからの、生まれ育ちを知らなければ、彼の本質は解らないのである。

 漢詩詞の場合も同様である。ただ上辺だけを知ろうとするなら、作品の文字面と其処に書かれた表面的な内容と、その近辺の情報を得れば、其れで事は足りる。然し、それはあくまで、上辺だけの理解である。

 漢詩詞は千数百年の、平和なときも悲惨なときも、ありとあらゆる世相を経て現在に到る文化である。タイムカプセルの様に、突然この世に現れたのではない。

 文化などというものは、人の一生から比べたら途轍もなく膨大である。漢詩詞の本質を知ろうとするには、詳細ならこれに勝ることはないが、簡単でも良いから、漢詩詞の生まれる数代前にまで遡って、一通りの情報を得る必要がある。

 

漢民族と詩詞曲概略

 国家盛衰の現実は、繁栄、抗争、内乱、侵略、背叛、抵抗、敗走、異民族支配・・・などの要件が入り交じり、更にこれらは、時間と地域とが互いに交錯している。

 然しこれらを逐一陳べたのでは、その情報量は膨大で、本稿趣旨に馴染まないので、それら詳細を省き、簡略に記述した。

 中国は多民族国家で有る!とは皆の謂うところである。多民族国家の歴史は、単一民族国家とは比べ物にならない程の離合集散と戦乱の歴史でもある。

 漢詩詞は中国大陸人口の8割を占める漢民族の詩歌である。唐以前は幾つもの政権が戦乱と離合集散を繰り返した。歴史上に名を留める群雄割拠の時代である。随を経て唐の時代になって、漸く諸國政権が平定された。依って国内が安定し、産業が発展し、文明が爛熟した。所謂 唐であり「唐詩」である。

 群雄割拠の時代を経て618年唐王朝が成立し、安定した時代を迎えたが、その政治体制の安定を継続維持するためには、支配階級の衣食住を賄う爲の重税と、国家体制維持の課役が必要である。

 依って安定した国家と相俟って、重税と課役に喘ぐ悲惨な多数の庶民が居たと言う現実もある。唐代に詩を完成させた文人達は、其の支配階級に属して居た。

 漢民族は唐代に、極めて文化的価値の高い詩歌として、唐詩を完成させたが、豊かな治世は何れは凋落し、時代の趨勢として宋代に詞が盛んになった。其れも次に訪れる異民族占領統治下に於いては、長くは続かなかった。

 唐詩は完成された漢民族定型詩歌としての、文学的な価値と地位は現代に到るも揺るぎないものである。唐より時代が下がって、宋詩、金詩、明詩、清詩と有るが、何れも唐詩の株に芽生えた、枝葉と謂うべきである。平和は常に堕落を生み、宋代になって、詩は枝葉を伸ばすが、株には及ばない。その後異民族占領統治下の長い時代を迎えたのである。

 宋代には政治の堕落から異民族阻止も儘成らず、遂には女真族の侵攻に抗しきれず、漢民族は女真族(金王朝)の占領統治下の民族となる。

 異民族(女真族)は漢民族への占領統治策として、科挙制度と漢民族の文化は温存した。依って、異民族占領下でありながら、文化の荒廃には到らなかった。この時代の作品を金詩と謂う。

 次に蒙古族は女真族侵攻の漢民族の地に侵攻し、女真族政権を打倒し、漢民族の地を占領した。

 蒙古族は其れまでの女真族と異なり、暴力による占領統治(独裁恐怖政治)を為した。其れまで温存された科挙制度は廃止され、詩歌文化も荒廃した。この時代を「元」と謂う。漢民族は、ほぼ100年間、蒙古族に生殺余奪を恣にされ、悲惨な被占領統治下の民族と成った。

 蒙古族に依る異民族占領統治下の漢民族文化の中、漢詩詞は衰微の一途をたどり、僅かに南方にに於いて命脈を保つ程となった。それに引き替え、北方からの元曲が盛んになった。

 元とは蒙古族による異民族支配下の時代を指す名称である。中華大陸総人口の八割を占める漢民族からすれば、蒙古族占領統治下、元の時代の曲という意味である。

 元曲には、戯曲と散曲の二通りが有る。散曲には元の時代に盛になった北曲と、時代が下がって、明代に成って、盛になった南曲とがある。(明は南方地域に朱元璋が建国した政権)

 北曲は蒙古族の占領下に於いて盛になり、南曲は朱元璋の建国に相俟って、明の時代に盛になった。

 蒙古族の侵攻により、詩はもとより詞も衰微の一途を辿り、此に代わって北方胡人の俗謡が台頭し、散曲となった。(中原音韵)詞の主体は一種の抒情詩で有って、含蓄を尊び、典雅に重きを置き、 隠喩を常用する。

 それに対し、散曲は、自然の酣暢を尊び、直裁的な事実を詠い、口氣は真と情に迫る。

 情は更に廣く、叙事の理を言う。即ち諷刺、嘲謔、嬉笑怒罵、尽情揮洒等であって、時代性と群衆性は頓に突出している。

 散曲と詞は一部に融通している處もあるが、蒙古軍が進駐する以前にも、曲が無かった訳ではないが、古代では詞と曲の区別はなかった。

 亦、蒙古人は、詞を楽府と言ったこともあった。亦、ある人は、曲を詞余とも言った。

 詞と曲の違いは、詞は比較的典雅 書面語が多く、比較的含蓄に富み、主に婉約と豪放の二通りがある。それに対し、曲は通俗語、口語化され大衆化されていて、賦を主な表現方法として、豪放と清麗の二通りがある。

 暴力による生殺余奪を恣にした蒙古族は、南方から蜂起した朱元璋に依って、放擲され、此処に100年続いた蒙古族による異民族占領地支配は終り、漢民族は自分が生まれた土地を自分で統治する時が到来した。

 然し朱元璋が1368年に建国した「明」は、蒙古族の占領地統治の手法(独裁恐怖政治)を自国の統治に使用したのである。依って、漢民族の文化は、蒙古族占領統治下と余り変わらぬ状況であった。

 朱元璋が建国した「明」はその後、代を重ねるに従い、政権の弱体化と、度々の蒙古族侵攻などを経て、1644年に女真族の侵攻を受けて南方に敗退し、南明を建てて女真族に抵抗したが、遂に抗しきれず、1673年雲南からビルマに遁走して明王朝は滅亡した。

 1673年に300年続いた「明」も、再び女真族に放擲され、「清國」となる。異民族の占領地政権は「清國」で、清国の占領地統治の手法は、同じ女真族「金」と同じで、漢民族の文化は復活した。

 漢民族は、240年間女真族による異民族統治下に有ったが、1911年「孫文」が蜂起した辛亥革命で清国は滅亡し、漢民族による漢民族の国家、中華民国が誕生した。

 その後の中華民国は「毛沢東」が蜂起した共産主義革命に依って、1949年、共産党による国家として、中華人民共和国が誕生した。

 毛沢東に依る共産革命から17年後、国内安定も未だしの1966年、内部権力抗争が顕在化して文化大革命が起こった。文化大革命は10年の殺戮と混乱の歳月を経て、1977年に漸く収束した。

 この思想弾圧恐怖政治の10年間に、1000万人(国民の100人に1人が命を落とした)余の有為な人命が失われ、多くの文化人もその犠牲者となった。

 1978年、胡耀邦氏やケ小平氏に依って改革開放政策が実施され、平穏な漢民族国家と成った。漢民族は唐宋の滅亡から始まった異民族侵攻による占領統治下の苦渋を経て1000年あまり、漸く此処に、漢民族による漢民族国家を建国したのである。

 阿片戦争に依って英国に略取された中国固有の領土、香港が1997年に、中華人民共和国に返還された。

 阿片戦争に勝利したポルトガルに依って、1845年に植民地化された中国固有の領土マカオが、1999年12月19日に、中華人民共和国に返還された。

 中華人民共和国は共産主義国家だが、香港とマカオを特別行政区として、主権国家の枠組みの中に於いて、一定の自治を認める一國兩制を採用している。

 

漢民族と詩詞曲の歴史

小国の離散集合の時代
 古体詩の時代 諸子百家の時代

唐−漢民族に依る漢民族の国家
 政治経済共に安定し、文化に於いても高度な成長を遂げる。唐詩の完成。盛唐詩の時代

宋−漢民族に依る漢民族の国家
 政治経済共に凋落の傾向。詩は峠を越した時期となる。詞が興り、盛んとなる。晩唐詩・宋詩詞の時代

金−女真族占領下の漢民族
 宋王朝は衰退し、異民族の侵攻に抗しきれず、女真族「金王朝」の占領統治下となる。宋詞・金詩の時代

元−蒙古族に依る独裁恐怖政治占領下の漢民族
 女真族の占領国家金王朝もまた、蒙古族の侵攻には抗しきれず、蒙古族「元王朝」の占領下となる。漢民族文化の否定、科挙制度の否定。此によって唐詩は影を潜め、代わって北方地域から興った元曲が盛んになった。

明−漢民族に依る漢民族の独裁恐怖政治国家
 蒙古族は、南方から蜂起した朱元璋に依って、放擲された。蒙古族による異民族占領地統治は終り、漢民族は自分が生まれた土地を自分で統治する時が到来した。

 然し朱元璋が建国した「明」は、蒙古族の占領地の支配と同じく、独裁恐怖政治したので、漢民族の文化は、蒙古族占領下と余り変わらぬ状況であった。

清−女真族占領統治下の漢民族
 1673年、300年続いた「明」も、再び女真族に放擲され、「清」となる。異民族の占領地政権「清国」の占領統治の手法は、同じ女真族「金」と同じで、漢民族の文化は復活した。唐詩は復活し、唐詩の枝葉として清詩も盛んになった。宋詞も盛んになった。

中華民国−漢民族に依る漢民族の国家
 孫文による辛亥革命1911年で、清國は崩壊した。漢民族による漢民族の国家「中華民国」が1912年建国が宣言された。1937年に日中戦争が勃発し、政治的に不安定な時期で、特筆すべき詩詞の発展はない。
 1946年、国民党(中華民国)と中国共産党との内戦が激化し、国民党は台湾に逃れて、現在に至る。

中華人民共和国−漢民族に依る漢民族の国家
 内戦を経て、1949年中国共産党に依って建国された漢民族の漢民族による国家。文化大革命(国民100人に1人が犠牲となった)の時代も過ぎ、現在は改革開放を旗印に、文化面に於いても大躍進の時代である。
 漢民族詩歌の三峰、詩詞曲は、波乱の1000年を経て、漸く此処に躍進の時を迎えた。1987年、中華詩詞学会が設立され、1994年中華詩詞学会会報第一号発行。2008年現在の団体会員200、個人会員8000人である。
(中国では学会は任意団体ではなく、国家機関の一つである)

 

現代社会と詩人の心構え

 中華大陸の歴史を垣間見ると、民族闘争、覇権争い、或いは侵略、内乱の歴史でもある。
 現在の世界は遠近を問わず、騙し、裏切りを始めとする悲惨な事件が毎日のように、起きている。詩詞創作に携わる者は、その現実から目を背けてはならない。

 人は知識がある反面、欲望に抗しきれず、残忍な一面を露呈する。何時の世も殆どの人民は、ただ平穏に生きる事を望んでいるのに、訳もなく裏切られ被害を被る。

 この現実を承知した上で、安穏を詠うのも良し、哀愁を詠うのも良し、不条理を訴えるのも良し、詩人の心の置き處は、詩人自身に委ねられる。

 騙しや裏切りは、新聞紙上に溢れている居るので、歴史上に残る大きな裏切りを、InternetWavePageから資料を得て、その一端を書き出した。

 虐殺も戦争も争乱も、個人の行為ではない!組織行為である!組織には命令者が居る。命令者は即ち国家であり、政府である。
 国家を形成する根底は、国民、即ち民衆である。国家の行為は民衆に肯定された行為である。即ちその国家を形成する民衆の、人間性と言える。

古代都市国家における白人奴隷

ユダヤ人による占領地カナンでの先住民虐殺

秦による長平の戦いにおける事後処理

秦の始皇帝による坑儒

項羽による新安での降伏した秦兵の虐殺

共和制ローマによるカルタゴ殲滅

十字軍によるユダヤ人、アラブ人虐殺

ヨーロッパ、アメリカ合衆国における魔女狩り

モンゴル帝国によるバグダード、バーミヤン等都市の殲滅

ヨーロッパ人によるオーストラリア州先住民の殲滅

アメリカ人による先住民インディアンの殲滅 1億人

アメリカ人による黒人奴隷捕獲と移送に依る損耗

ヨーロッパ人による黒人奴隷売買 1500万人
  奴隷貿易には、ヨーロッパ文明諸国のほとんどが手を染めていた。そして、ほとんどが熱心なキリスト教徒であった。

イギリスのタスマニア人虐殺

ロシア・東欧におけるポグロム大虐殺

パラグアイにおけるブラジル軍による虐殺

トルコのアルメニア人虐殺

ソビエト連邦におけるスターリン治世下での粛清

中国人によって日本人が虐殺された通州事件

日本軍による南京虐殺(真偽と規模については諸説あり)

ナチスのホロコースト

アメリカ軍、イギリス軍によるドイツ一般市民への空襲

ソ連軍によるポーランド軍捕虜の虐殺

ソ連軍によるドイツ人避難民の虐殺

アメリカ軍による日本一般市民への絨毯爆撃

アメリカ軍による東京大空襲・各都市空襲

アメリカ軍による広島への原爆投下

アメリカ軍による長崎への原爆投下

アメリカ軍による沖縄戦無差別爆撃

ソ連軍による日本人避難民の虐殺

清國による自国民に対する虐殺

清国に依るウイグル・チベット・東トルキスタンでの民族浄化

中国人による中国人の思想弾圧 文化大革命

二・二八事件 台湾の外省人による本省人虐殺

韓国軍による自国民の大量虐殺

アメリカ軍による朝鮮保導連盟虐殺事件

アメリカ軍による無辜の韓国人のべ10万人虐殺

アメリカ軍に依る済州島四・三事件

アメリカ軍によるベトナム枯れ葉作戦

カンボジアのポル・ポト派による虐殺

イラクによるクルド人虐殺

ユーゴスラビアにおけるにボスニア内戦時の民族浄化

ルワンダ紛争における大量虐殺

ダルフール紛争における集団虐殺

アメリカ軍によるアフガニスタンゲリラ掃討に依る無辜民衆殺戮

アメリカ軍によるイラク政府転覆   無辜民衆殺戮

☆ 秘密保持が厳重な国家は、事件がないのではなく、情報が出てこない。

 被害規模は未調査です。各自で書き入れてください!

楹聯散曲元曲自由漢詩笠翁対韻羊角対漢歌漢俳填詞詩余曄歌坤歌偲歌瀛歌三連五七律はこの講座にあります