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第四章 魏(魏蜀呉など三国)


 魏は西暦二百二十年から二百六十四年迄を云い、曹操は魏王朝の事実上の建国者、財産家では有るがまともでは無いと視られる家の息子だった曹操は、若い頃手の付けられない道楽者だったと言われるが、黄巾の乱を平定するのに功績があった。
 その後軍閥の割拠により混乱状態に陥ると、河北の袁紹などの軍閥を次々と倒し、最大の勢力になった。
 赤壁の乱に破れて、孫権が江南に、劉備が四川に独立するのを許したが漢の皇帝をロボットとして、事実上の主権者の地位にあって、後漢の皇帝を実力で圧迫し死後に息子の曹丕(文帝)が皇帝の位を奪う基盤を作った為に、小説「三国史演義」などで悪玉にされている。
 文学史上でも曹操は重要な役割を果たし、その一つとして楽府詩を知識人の抒情詩として作り始めた事で、これ以後の中国では、「賦」に代わって「詩」が文学の主流となり、其の状態は清末まで続く。
 此の時代に登場する人物は、曹操 曹操の子曹丕 曹丕の弟曹植 王粲 ・康(三国時代末期の哲学者 詩人阮籍と共に竹林の七賢と呼ばれる哲学者グループの指導的人物)などである。
 
幽憤詩 ○康
 幽憤の詩    けいこう

嗟余薄○ 少遭不造
 ああ余は幸薄く 少なくして造らざるにあう

哀○靡識 越在繦褓
 哀しみも憂いも知る無く 越えてねんねこに在り

母兄鞠育 有慈無威
 母と兄とに養われ 慈しみ有るのみにて厳しき事なし

恃愛肆姐 不訓不師
 愛を恃みて欲しい侭に甘え 訓しえ有らず師有らず

奚及冠帯 馮寵自放
 茲に冠を着け帯を締める歳に及び 寵を恃みて自ずから欲しい侭にす

抗心希古 任其所尚
たか
 心を抗くして古を希い願い 其の尚ぶ所に任す

託好老荘 賎物貴身
 好みを老荘に託し 物を賎しみ身を尊ぶ

志在守僕 養素全眞
 志しは僕を守にあり 素を養いて真を全くす

日余不敏 好善闇人
 これ余は敏からずして 善を好みて人に闇らかりき

子玉之敗 屡増惟塵
しばしば
 子玉の敗れるは 屡々惟塵を増す

大人含弘 藏垢懐恥
 大人は含む事弘く 垢を隠して恥を懐く

民之多癖 政不由已
 民の癖多くして 政の既に由らず

惟此褊心 顕明臧否
 惟この褊き心にて 善きと否とを顕かにす

感悟思愆 怛若創瘠
 気ずき悟りて慫を思えば 傷むこと傷と打ち身有るが如し

欲寡其過 謗義沸騰
 其の過ちを寡くせんと欲し 謗りは騰きかえり

性不傷物 頻致怨憎
 生まれつきて物の損なはざるに 頻りに怨み憎まれるを致く

昔慙柳恵 今愧孫登
 昔は柳恵に慙じ 今は孫登に慙ず

内負宿心 外忸良朋
 内は日頃の心に背き 外は良き朋に恥ず

仰慕嚴鄭 楽道閑居
 仰ぎて厳鄭を慕い 道を楽しみて閑居す

與世無營 神気晏如
 世と営む事無く 心は安らかなりき

咨予不淑 嬰累多虞
 ああ余は良からず 煩いに係わりて憂い多し

匪降自天 寔由頑疎
 天より降せるに非らず 誠に愚かに大まかなるに由る

理蔽患結 卒致囹圄
 理は蔽れ患は結ぼれ 遂に囹圄に居るを致せり

對荅鄙訊 ○此幽阻
 対い答えるに重ねて問はれるを鄙しみ 此の暗き阻に囚わる

實恥訟免 時不我與
 げに控えて免れるを恥ずれど 時は我と與にせず

雖日義直 神辱志沮
 道は直しと云うと雖も 神は辱められて志しは阻まる

○身滄浪 豈云能補
 身を滄浪に洗うも 豈に能く補うと云はんや

○○鳴雁 奮翼北遊
 ようようと鳴く雁は 翼を奮いて北に遊ぶ

順時而動 得意忘憂
 時に順いて動き 思いを得て憂いを忘る

嗟我噴歓 曾莫能儔
 嗚呼我の憤り嘆くこと 曾て能く等しき莫し

事與願違 遘茲奄留
 事と願いとは違い 茲に引き留められるに遭う

窮達有命 亦又何求
 窮おると達ぶるとは命にあり 又亦何おか求めん

古人有言 善莫近名
 古人も云える有り 善を成すも名に近ずく莫かれと

奉時恭黙 咎悔不生
 時に奉じて恭しみ黙すれば 悪しき事は起こらず

萬石周慎 安親保榮
 萬石は深く慎み 親を安んじて栄を保てり

世努粉紜 祇撹予情
 余の努めは粉紜して たまたま余の情を撹す

安楽必誡 乃終利貞
 安楽に居りては必ず戒むれば 乃ち和らぎ正しきに終わらん

煌煌霊芝 一年三秀
 煌煌しき霊芝は 一年に三たび秀ず

予獨何爲 有志不就
 予独りなに為れぞ 志し有りて就らず

懲難思復 心焉内疚
 難に懲りて復するを思えば 心は焉くんぞ内に病まん

庶勗将来 無馨無臭
 願はくば将来に勤めよ 馨無く臭い無し

采薇山阿 散髪巖岫
 薇を山の丘に摘み 髪を巖の嶺に散らさん

永嘯長吟 頤性養壽
 永く嘯き長く吟み 性を養い壽を養はん

 呂安の事件に巻き添えにされて、獄中に在って作られた詩「幽憤」とは、獄中に閉じ込められた事を憤る詩であると同時に、入獄の原因と対決して、其れが自己の性格の内部にある事を見いだし、従って憤りの対象は自己その物であり、憤りが閉ざされた自己の内部へ向かう事も意味する。

○ 元来中国人固有の発想の中には、罪を自己に回帰する、詰まり自責や懺 悔の観念は乏しい。
  曹植に「躬を責む」と云う詩が有るが、それは兄の曹丕に対する申し訳 に書いたと言う要素が強く、本心から自己の内面を追求して自己の行為に 対する自己の責任を尋ねて居るとは云い難い。
其の点、此の詩の八十六行に亙って徹底的に自己を見つめ、自己を解剖し、今日の悲境の原因を自己の内に突き詰めて往く態度は、中国精神史上希にみる所である。 (録中国古典選)


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