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第五章 晋(西晋 東晋)

 晋は西暦二百六十五年から四百二十年までを云い、茲に登場する人物として、張華 傳玄 陸機 潘岳 左思 石崇 劉○ 郭璞 陶淵明 などが居る。

歸園田居 陶淵明
 田舎の住まいに帰る

少無適俗韻 性本愛丘山
 少なきより俗に叶う調べなく 生まれついて丘と山を愛す

誤落塵網中 一去三十年
 誤って塵の網の中に落ち 一度去りてより三十年余りなり

羇鳥戀舊林 池魚思故淵
 旅の鳥は古き巣を思い 池の魚は古き淵を思う

開荒南野際 守拙歸園田
 あれたる南の野の際に開き 拙なきを守りて田舎に帰る

方宅十餘畝 草屋八九間
 四角なる屋敷の十余畝 草覆いの屋の八九間

楡柳蔭後檐 桃李羅堂前
 楡と柳は裏の軒端を覆い 桃と李とは座敷の前に連なる

曖曖遠人村 依依墟里煙
 曖曖と遠くの村はかすみ なよなよと村里の煙は上がる

狗吠深巷中 鶏鳴桑樹巓
 犬は奥まりし路地の中に吠え 鶏は桑の樹の頂に鳴く

戸庭無塵雑 虚室有餘閑
 前庭にはガラクタ無く 虚しき部屋には余れる暇有り

久在樊篭裏 復得返自然
 久しく鳥篭の裏に在しが 復自然に帰るを得たり

 陶淵明四十二才の時の作と推定され、其の前年東晋の安帝の義熈元年に、九江市の東方に在った彭沢県の県令と成ったが、在任八十日余りで突然辞任して、その後は絶対に仕官しなかったと言われる。
 貧乏で食えなく成っている所へ、叔父から勧められて県の公田からの上がりで酒が作れると聞いて赴任し、陶淵明は公田全部に酒米を植えようとしたが、妻の猛反対に遭い公田の六分の五に酒米を植え、残りは普通の米を作付けした。
 たまたま巡視官がやって来たとき、県令は公式の礼服を付けて対応する由を書記が教えると、「五斗米(僅かな給料)の為に俺の腰を折るのはいまいましい」と云つて辞任して仕舞ったと云う。

注: 此の逸話は、陶淵明が本質的に裕福だったから出来る事で、毎年餓死者が出る当時の状況の中に在っては、知識人の気侭な振る舞いに過ぎない。
注: 此処で少し此の詩を読み返してみると、言葉の運びにとても調子の良い所のある事に気付いた事と思う。
  この様な句は今迄に無かった訳では無いが、詩形も時代と共に洗練され「唐」に成って新体詩という定型詩が出来ると、新体詩の中でも律詩は対 句を必須条件とし、前掲の詩句はこの「対句」(古詩にあっては対句は必須の条件ではないので)の経過段階の句であると云える。

 前半四句と後半四句を除いた、五句目から十六句目までの十二句は互いに一定の関係を持った句と成って居るで有ろう事が、何となく感じられる。 
 「対」とは互いに相対するという意味で、これは「句」が或る関係を持って対する事で、内部の構成は発音の上で平に対して仄、文法の上では同じ関係にあり、句意に於いては反対の事柄を述べる物、違う方向から述べる物など様々である。
 対句は其の持ち前の調子の良さもあるが、句意表現の面にあって、二句の化合による効果が大きい。
 古詩に於いて此の点の理解は別として、如何に漢詩が長編に向いて居るとは云つても、矢張り余り長くなるとダラケるので、此の解決方の一つとして、対句は有効な手段である。

諸人共遊周家墓柏下 陶淵明
 皆と一緒に周家の墓の柏の木の下で遊ぶ

今日天気佳 清吹與鳴弾
 今日は天気良ければ 清き笛吹きと鳴る琴弾きとせん

感彼柏下人 安得不爲歓
 彼の柏の木の下の人に感じては 安んぞ歓びを為さざるを得ん

清歌散新聲 緑酒開芳顔
 清き歌は新しき節を撒き散らし 良い酒は芳顔を開く

未知明日事 余襟良已殫
 未だ明日の事を知らず 余が想いは良に既に尽きぬ


飲酒 陶淵明
 飲酒

結廬在人境 而無車馬喧
 庵を結び人の境にあり 而れども車馬の喧しき無し

問君何能爾 心遠地自偏
 君に問う何ぞ能くしかるや 心遠く地は田舎成ればなり

採菊東籬下 悠然見南山
 菊を取る東籬の下 悠然として南山を見る

山気日夕佳 飛鳥相與還
 山の気配は日暮れに佳く 飛ぶ鳥は相連れて帰る

此中有眞意 欲辯已忘言
 此の中に真の心有り 弁べんと欲して既に言葉を忘る

 飲酒とは酒を飲むこと自体ではなく、「酒を飲んでいる中での境地を表現した」事で、矢張り詠懐詩の系列に属す。
 此の詩は陶淵明の願望の世界では在っても、あの乱世に生きた彼の世界が、常にこの様な静寂に満たされて居たかどうか、例えば「車馬の喧しき無し」果たして何処まで事実だったか、史は隠者として名高い彼の為に、何度も宋の朝廷や州都の高官が使者を派遣して出史を命じ、高官自ら交際を求めた事も在ったと記す。
 そうした煩わしさの中で彼が求めた世界、其れこそが「悠然見南山」で発見した真の世界であろう。
だが読者をして彼にある種の誤解、偏向したイメージを作り上げた事は事実で、彼だって年中南山を見つめて居た訳でもなかろうし、矢張り余った菊は花屋へ売ったろうに。

 

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