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第六章  南北朝隋

 南北朝とは西暦四百二十年劉裕が晋を滅ぼして建てた宋王朝(後の趙氏の宋と区別して劉宋と称す)から、揚堅が隋を建てる西暦五百八十九年までを云う。
 その後隋の文帝在位二十四年、煬帝十二年を経て「唐」に至り、詩の開花期唐に至る直前の時代で、既に蕾は大きく成って、謝霊運 鮑照 謝・ 沈約江庵 痩肩吾 陳後主 斛律金 痩信 隋煬帝 などが上げられる。
 然しながら時代は年数という幅を持っており、人生にも幅が有るから晋代の人も多く此の時代に活躍して居るし、其の逆も可で、又唐代と此の時代との関係も同様である。
 此の時代を遡る事九百年近く詩経の作品と比べてみると、既に荒削りの態はなく、何処と無く繊細で構文にも種種の工夫が凝らされ、如何に大きな変化があったか伺いしれる。
 どの世界でも似たり依ったりだが、始めは荒削りで純朴さがあるが色々と工夫され繊細となり、唐代になって純朴と繊細が兼ね備わり、その後其れでは飽きたらず理屈っぽくなり、これでは不味いという人が出てきて懐古の風潮が現れ、何時の世も此の繰り返しで、試行錯誤しながら少しずつ進歩してゆく。

登池上樓 謝霊運
 池の上の楼に登る

潛虻媚幽姿 飛鴻響遠音
 潜める虻は隠れし姿を歓び 飛べる鴻は遠き鳴き声を響かす

薄霄愧雲浮 棲川作淵沈
 空に留まりて雲に浮かぶを恥 川に沈みて淵に沈むを恥ず

進徳智所拙 退耕力不在
 徳を進むるは智の拙なきにして 退きて耕すは力足りず

徇禄及窮海 臥病對空林
 禄に従い最果ての海に及び 病に臥して空しき林に対かう

衾枕昧節候 ○開暫窮臨
 衾と枕とは季節に疎く 掲げ開きて暫く伺い臨む

傾耳聆波瀾 挙目眺嶇崟
 耳を傾けて波を聞き 目を挙げて山の峙つを○む

初景革緒風 新陽改故陰
 初の景は緒風を改め 新しき陽の期は旧き蔭の期を改める

池塘生春草 園柳變鳴禽
 池の堤は春の草を生じ 園の柳は鳴く鳥を変う

祁祁傷○歌 萋萋感楚吟
 蓬摘む人の多くは○の歌に傷み 草の茂りたるは楚の歌に感ず

索居易永久 離羣難處心
 独り居るは永久なり易く 群れを離れては心おき難し

持操豈獨古 無悶微在吟
 操を守は豈ひとり古のみ成らんや 悶える無きの兆しは今にあり

 永嘉時代の作品の一つ、此の詩の舞台となった池は温州の西三里の所にあると言い、最果ての海辺にさすらう歌で余り段落がハッキリしないが、三段に分けられる様だ。
 前六句は龍や鳥、魚の姿を借りて現在の自己の状況に置き換え、自嘲と憤悶の想いを述べ、此の句法は詩経で云う「興」と云う表現法で、主題を他の事象に置き換えて表現する比喩である。
 続いて目の前の状況として、私は給料に釣られてこの最果ての海辺に辿り着いた、(勿論大富豪の謝霊運に取っては、想いも掛けず南の海辺に左遷された現実への自嘲で)其れだけでは不幸が未だ充分では無いかの様に、病にまで侵された私は人気の無い林に向かい合った此の部屋で寝ている。
 夜具をはおり枕を立てて引き篭もっていると、季節の移り変わりにもすっかり疎くなって仕舞う。
 其れで近頃自然の姿はどう成って居るかと病室のカーテンを引き上げて暫く外を眺めてみる。
 耳を傾けては池の面に立つ波の音に聞き入り、目を挙げてはゴツゴツした山を眺める。
 私が寝込んでいる間に、何時の間にか季節はすっかり変化して、新鮮な春の兆しは冬の名残の冷たい風に取って代わり、旧い陰気に代わって新生の陽の気だ。
 池の堤防にびっしり生えているのは春の草、庭園の柳の梢に鳴いている小鳥も春らしい種類に代わっている。
 此の句迄はまっすく事柄を述べる「賦」で、蓬を摘む人がその辺に沢山ゾロゾロ出てきているが、其の姿を見ていると蓬摘む春の女の悩みを歌った「風七月の歌」の一節が思い出さされ、片田舎にさまよう私の遠く離れた人々を懐かしむ気持ちは、あの蓬摘む娘の人恋しさと変わり無いのだと悲しむ。
 春の草が威勢良く繁るのを見ていると、春の草に帰らぬ貴公子を思った「楚辞」の「招隠子」の篇が連想され、茲にぐずぐずしている私を待つ人も有るのだと胸を掻きむしられる。
 私の身の上を考えると、親しい人々から別れた孤独な生活はどうも長く成りがちで、其れにつけても群れを離れた生活は耐え難い物だ。
 此の句迄は蓬摘む村娘を登場させ、其の姿と歌とを対比させ、単なる比喩として「比」の句法である。
 此の状況を嘆いてばかりは居られない、気を取り直して、それなら其れを逆手に取ってやろうと、思考の転回を計る。
 だが原則を堅く守って、清潔な生活を過ごすのは昔の人ばかりがする事だろうか、私だって其の位の事はやってみせる。
 易に「龍の様に素晴らしい徳を持って隠れた人は、世相につれて移り変わらず、名を求めず世を逃れて平静である」と云うが、そうした人物が今も存在すると云う証拠を、私は身を以て示すであろう。

勅勒歌 斛律金
 勅勒の歌

勅勒川 陰山下
 勅勒の平原は陰山の麓よ

天似○廬 篭蓋四野
 天は丸屋根みたいに 四方の原野に覆い蓋さる

天蒼蒼 野范范
 大空は青々 野はぼうぼうと

風吹草低見牛羊
 草はお辞儀をして牛や羊が顔を出す

注: 此の詩はトルコ語のリズムに忠実に訳されており、其のリズムはトルコの歌謡と一致していると云う。
  また唐代に盛んになった七言絶句は、トルコ古歌謡の影響を受けたとも 云われ、すると此の詩は中国とトルコ族の隠れた文化交流を暗示するのかも知れない。

 

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